「モラタメ」、2回目です。今回は、DHC さんの「Q10モイスチュアケアリキッドファンデーションサンプルキット」です。
写真では並びがわかりづらくなってしまいましたが、5点セットです。写真手前の3商品は、写真奥の「リキッドファンデーション」と「ボディジェル」のモニター当選者の中から、さらに抽選でプレゼントしていただけるものだったので、ラッキーでした。
<使用しての率直な感想>
Q10モイスチュアケアリキッドファンデーション(写真:奥右)
・「ナチュラルオークル02」という少し濃い目の色でしたが、色白のわたしでもあまり違和感なく使えました
・においがあまりしません(強いにおいが苦手なので、助かります)
・のびがよく、カバー力・吸着力にも優れています
リキッドファンデーション自体が初体験だったのですが、この商品は抵抗感なく使えるなと感じました。サンプルの提供方法について欲を言えば、「1回分1袋×3」という形にしていただきたかったです。今回の「3回分1袋」では、せっかくいただいたサンプルが乾燥してしまうのと、1回分がどのくらいかという目安がわかりづらいためです。
DSボディジェル(ボディ用美容液)(写真:奥左)
・塗った部分がすべすべになっていくのが、実感できました
・直後は「すっとする」爽快感がありました
・柑橘系のいいにおいがしました
ボディジェルも初めてです。袋からだした状態ではぬるぬるだったので若干違和感がありましたが、のばしていくうちに肌になじみ、塗った部分はすべすべになります。身体のスキンケアにぴったりの商品だと思いました。
-----以下は「プレゼント」としていただいた商品ですが、感想を記しておきます。
アイラッシュトニック(写真:手前右)
・きちんと塗ることによって目元の印象が変わりました(ぱっちりした感じ)
・べたべた感がなく、さらっと塗ることができます
・日常のまつげケアのために使ってみたいと思いました
薬用リップクリーム(写真:手前中央・箱と中身)
・のびがよく、塗りやすいです
・吸着力があり、効果が長時間持続していました
・デザインがかわいいです
薬用ディープクレンジングオイル(写真:手前左)
・洗い流したあと、とってもすっきりしました
・ほんのりと香りがあって、リラックス効果があると思います
今回サンプルをいただいたことにより、日ごろのスキンケアへの意識をより強くもてたので、よかったと思います。いただいたものはすべて気に入ったので、まずは「使い切るまで」使用を続けてみるつもりです。
※モラタメとは
サンプルや新商品を無料、あるいは送料関係費のみで試すことができるサイトです。無料で試せる場合を「モラえる」、送料関係費のみで試せる場合を「タメせる」と言っています。なお、今回の「Q10モイスチュアケアリキッドファンデーションサンプルキット」は、「モラえる」商品でした。
モラタメにご興味のある方、詳しくお知りになりたい方は、下のバナーをクリックし、モラタメサイトをご覧ください。
2009年8月20日木曜日
2009年8月19日水曜日
できあがりをすぐに見られる楽しみ
ブログは、書いたらすぐに「できあがり」になります。つまり、「整ったページレイアウトの中に、自分が指定したフォントできちんと字が並んでいる」、という状態にまで、簡単に持っていくことができるということです。そしてそれを自分自身の目ですぐに確認できる。これはとても楽しいことで、わたしがブログを書くモチベーションの一部となっています。
ブログが流行る理由はたくさんありますが、このように、「できあがり」を自分で「すぐに」見られる楽しさがある、というのもそのひとつだと思います。「作り上げた気分になれる」というのは、新しく何かを書こうという意欲につながり、重要なものであるようです(書かれる「内容」は、ともかくとして)。
「出版物」という形で何かを書いて発表する、ということになると、こう簡単にはいきません。本としての完成品を見たければ、自分以外の方に原稿を託し、プリントアウトし、表紙もつけて・・・という手順を踏まなければなりません。また、ブログでは、「できあがったものにさらに手を加えていく」という作業も簡単にでき、チェックも容易ですが、出版物ではやはり時間がかかってしまいます。
わたしは書くのが好きなタイプの人間です。しかし、「自分が手元で書いているものと、できあがりのものとの間にどのぐらいのギャップが生じるのかイメージができない」という理由から、出版物のために何かを書く、というのは難しいのかもしれません(もちろん、わたしの文章を本にしたいなんて、誰も言ってないんですけどね)。
ブログが流行る理由はたくさんありますが、このように、「できあがり」を自分で「すぐに」見られる楽しさがある、というのもそのひとつだと思います。「作り上げた気分になれる」というのは、新しく何かを書こうという意欲につながり、重要なものであるようです(書かれる「内容」は、ともかくとして)。
「出版物」という形で何かを書いて発表する、ということになると、こう簡単にはいきません。本としての完成品を見たければ、自分以外の方に原稿を託し、プリントアウトし、表紙もつけて・・・という手順を踏まなければなりません。また、ブログでは、「できあがったものにさらに手を加えていく」という作業も簡単にでき、チェックも容易ですが、出版物ではやはり時間がかかってしまいます。
わたしは書くのが好きなタイプの人間です。しかし、「自分が手元で書いているものと、できあがりのものとの間にどのぐらいのギャップが生じるのかイメージができない」という理由から、出版物のために何かを書く、というのは難しいのかもしれません(もちろん、わたしの文章を本にしたいなんて、誰も言ってないんですけどね)。
2009年8月14日金曜日
ブログタイトルを変えました
ブログタイトルを、「Blogは大きな独り言」に変えました。
最近、ブログというものに関して、このタイトルの言葉のとおりに考えるようになったためです。
ブログは、特に誰からの検閲を受けることもなく公開できます。内容を気に入ってもらえれば他の人が聴きにきますし、そうでなければ誰もきません。それでも、自分がやめようと思わない限り、しゃべり続けることができます。まさに、大きな声でぶつぶついっている独り言、という感じがします。
また、そのくらいのスタンスでいたほうが、わたし自身が書きやすい、というのもあります。誰かに読んでもらいたいと気を張ってしまうと、何も書けなくなったりしてしまうので。
これまでの「NO TITLE」というタイトルも気に入ってました。さらに魅力的なブログにしていく意味での、タイトル変更です。
最近、ブログというものに関して、このタイトルの言葉のとおりに考えるようになったためです。
ブログは、特に誰からの検閲を受けることもなく公開できます。内容を気に入ってもらえれば他の人が聴きにきますし、そうでなければ誰もきません。それでも、自分がやめようと思わない限り、しゃべり続けることができます。まさに、大きな声でぶつぶついっている独り言、という感じがします。
また、そのくらいのスタンスでいたほうが、わたし自身が書きやすい、というのもあります。誰かに読んでもらいたいと気を張ってしまうと、何も書けなくなったりしてしまうので。
これまでの「NO TITLE」というタイトルも気に入ってました。さらに魅力的なブログにしていく意味での、タイトル変更です。
2009年8月11日火曜日
地震警報
早朝、静岡県の駿河湾を震源とした大きな地震が発生しました。わたしの居住地も、けっこう揺れました。震源地からは離れた場所であるにも関わらずです。
さて、わたしの住む地域では、揺れの直前に警報が放送されました。「(チャイムのような電子音のあと)大地震です」というアナウンスが3回繰り返される、というものです。テレビでも同じものが流れていたので、「あー、あれね」とおわかりの方もいらっしゃるかもしれません。
わたしは、この放送をきいて、2つのことを思いました。
1.きいても、なにもできない
わたしはこの放送により、地震の揺れの直前に目が覚めました。しかし、目を覚ましたからといって、なにができるということはありませんでした。早朝であり、 寝ぼけた状態のまま、ただ揺られるにまかせてました。今回は、(大地震という放送のわりに)幸いそこまでの大きさの揺れではなかったものの、もしものすごい地震であったならば、危なかったと思います。
2.音が怖い
わたし特有の感受性なのかもしれませんが、アナウンスの前の「電子音」が、とても不気味に感じられました。聴いたことのない音程のチャイムであ り、「大地震」というより、「大魔神」のような得体の知れないものが押し寄せてくるような恐怖感を感じました。いやもうほとんどトラウマです。この音が、 早朝地域全体に響き渡る大音量で鳴ったというのも、かなり怖かったです。
警報をきいても何もできなかったり、音が怖かったりするのは、この警報を「聴き慣れない」がゆえのものだと思います。今回は、この警報を耳になじませることができたという点で、一応よい訓練になったんだなと思うことにします。慣れるほどたくさん警報を聴く状態というのも、怖いんですがね。
さて、わたしの住む地域では、揺れの直前に警報が放送されました。「(チャイムのような電子音のあと)大地震です」というアナウンスが3回繰り返される、というものです。テレビでも同じものが流れていたので、「あー、あれね」とおわかりの方もいらっしゃるかもしれません。
わたしは、この放送をきいて、2つのことを思いました。
1.きいても、なにもできない
わたしはこの放送により、地震の揺れの直前に目が覚めました。しかし、目を覚ましたからといって、なにができるということはありませんでした。早朝であり、 寝ぼけた状態のまま、ただ揺られるにまかせてました。今回は、(大地震という放送のわりに)幸いそこまでの大きさの揺れではなかったものの、もしものすごい地震であったならば、危なかったと思います。
2.音が怖い
わたし特有の感受性なのかもしれませんが、アナウンスの前の「電子音」が、とても不気味に感じられました。聴いたことのない音程のチャイムであ り、「大地震」というより、「大魔神」のような得体の知れないものが押し寄せてくるような恐怖感を感じました。いやもうほとんどトラウマです。この音が、 早朝地域全体に響き渡る大音量で鳴ったというのも、かなり怖かったです。
警報をきいても何もできなかったり、音が怖かったりするのは、この警報を「聴き慣れない」がゆえのものだと思います。今回は、この警報を耳になじませることができたという点で、一応よい訓練になったんだなと思うことにします。慣れるほどたくさん警報を聴く状態というのも、怖いんですがね。
2009年8月8日土曜日
幼少期に見た夢
「睡眠中に見る夢」の話です。
5歳ぐらいのころに衝撃的な夢を見ました。その内容は、「何者かにより刃物で背中を刺されそうになる」というものでした。最初は「仲の良い友達と遊んでいる」という穏やかな夢だったはずなのに、唐突に黒服の男がでてきて、そいつがナイフでわたしの背中を刺してきたのでした。刺される瞬間に、恐ろしさのあまり飛び起きたので、「ぐさっ」となったところまではいっていません。
起きたときは汗びっしょりで、心臓がばくばくいっていたのを覚えています。でも、実際の世界で「刺される」なんてことは、このときもその先もなかったので、長い間この夢のことを忘れていました。思い出したのは最近のことで、人との会話で「夢の話」になったときでした。
なぜこんな夢を見たのか、当時はもちろんわかりませんでしたし、今もはっきりとはわかりません。しかし、「なんとな~くこんなことなんじゃないかな」という漠然とした理解はあります。どういう理解かを簡単に言うと、「このときから、わたしの身体が歪み始めたのではないか」ということです。こう考えると、思い当たる節がいろいろあります。このことについては、あらためて書きたいと思います。
今回のエントリは、思い出したことを忘れないために書きました。
5歳ぐらいのころに衝撃的な夢を見ました。その内容は、「何者かにより刃物で背中を刺されそうになる」というものでした。最初は「仲の良い友達と遊んでいる」という穏やかな夢だったはずなのに、唐突に黒服の男がでてきて、そいつがナイフでわたしの背中を刺してきたのでした。刺される瞬間に、恐ろしさのあまり飛び起きたので、「ぐさっ」となったところまではいっていません。
起きたときは汗びっしょりで、心臓がばくばくいっていたのを覚えています。でも、実際の世界で「刺される」なんてことは、このときもその先もなかったので、長い間この夢のことを忘れていました。思い出したのは最近のことで、人との会話で「夢の話」になったときでした。
なぜこんな夢を見たのか、当時はもちろんわかりませんでしたし、今もはっきりとはわかりません。しかし、「なんとな~くこんなことなんじゃないかな」という漠然とした理解はあります。どういう理解かを簡単に言うと、「このときから、わたしの身体が歪み始めたのではないか」ということです。こう考えると、思い当たる節がいろいろあります。このことについては、あらためて書きたいと思います。
今回のエントリは、思い出したことを忘れないために書きました。
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